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帰国、そして乱気流

10月8日

荷造りが意外に大変で、収まりきらず、手荷物が一つ増えた。ロッドケースのジョイント部は、テープで補強しておいたほうがよいと教えてもらったので、買っておいたテープでグルグル巻きにする。運が悪ければ、ジョイント部でポキッってことがあるらしい。結局24:00頃床に就いたが、6:00に起きればいいので、随分楽だ。

パスコからの飛行機は、9:30。8:30にチェックインするとして、レンタカーの返却もあるので、8:00前には着きたい。スムーズに行くと、モーテルから空港まではフリーウェイで20分程度。しかし、迷うことを考えて7:00にはモーテルをチェックアウトした。空港へは、モーテルのフロントで道を聞いたがやはり迷って、コンビニで道をきき、それでも8:00前には着いた。レンタカーの返却は、休日早朝のため、無人なので必要事項を書いてボックスに入れる。そこまでやって、チェックインして、荷物を預けてもまだ8:00だった。

お店が開いていたので、土産を少し買って時間を潰す。8:30くらいに、ジェフと一緒にU氏が来て、コーヒーを飲んだ。U氏は、ポートランド経由で名古屋に帰る。ジェフ達に、「どうして鯉をウェインしなかったんだ」言われたが、僕にはアメリカンジョークは、まだ早すぎると笑った。

僕は、シアトル経由で関西国際空港へ帰る。シアトルを12:30に発った飛行機は、翌日10月9日の午後3:30に到着予定だ。帰りは行きよりも時間が長い。レジストレーションでもらったTOUR MAGAZINEを読む。バスプロの職業やインタビューなど興味深い内容が多い。

一通り目を通しても一向に着かない。帰りの飛行機のなんて長いこと!これからの自分のあり方を考えるには充分すぎる時間だった。乗り越えるべき問題の多さ、大きさ、不安。どうすれば、本当に実現出来るだろうか?と考えてしまう。

15:00頃、やっと到着のアナウンスが入る。それは、関空上空が悪天候とのこと。その時は、そんなに気にもしていなかった。しかし、いよいよ着陸という段になっても、現地までの距離や高度は上がったり下がったり、揺れも激しい。何度もリトライしている感じだ。時折、エアポケットに落ちて急に下がる。次のアナウンスは、着陸できないため、しばらく上空を旋回して、天候回復を待つという。旋回といっても、揺れは激しい。周りでは、吐き始める人もいる。地獄だ・・。

揺れ自体は、ジェットコースターと変わらない。しかし、ジェットコースターと一番異なることは、「死ぬかもしれない」ということだ。その精神的なプレッシャーが、恐怖を生み、吐き気を催すのだろう。僕は、吐き気はなかったが、真剣に遺書を書こうかと思ったし、やっと自分の目標が見えてきた矢先で、思い半ばで生涯を終えることの悔しさと、家族への思いで居ても立ってもいられない気持ちになった。真剣に、落ちても死ぬか!と思ったし、今死ぬべき時じゃないことは、神様も知っているはずだ、と自分に言い聞かせていた。そうこうしているうちに、飛行機は着陸していた。一気に安堵の気持ちとキャビン一杯に溜め息が響く。しかし、景色が違う。時間は、16:40頃。

アナウンス「当機は、伊丹空港に着陸いたしました・・」

「伊丹!?」でも、まぁいい。タクシーで帰れば近い。しかし・・アナウンス「燃料を補給後、再び関西国際空港へ向かいます・・」

「は??」

「降ろして~」という声や溜め息でざわめく。おまけに・・アナウンス「左の補助エンジンが止まっているため、空調と電気を消します。安全上問題ございませんので、ご安心ください・・」。「おいおい!」「安心できるかよ」「降ろして~」とザワザワ。熱く暗い中、待つこと2時間。19:00に漸く伊丹空港を発った。

緊張したまま、関西空港へ着陸。時間は20:00だった。税関で、ロッドケースを入念に調べられ、空港を出たのは20:30。迎えに来ていた妻と娘は、5時間も空港で待ったことになる。死ぬ思いでいた時間、彼女たちはカラオケを楽しんでいたらしい。 最後の最後でこんなことがあろうとは・・。ただ、この事件で一度は、真剣に遺書を書こうと思ったし、逆に死んでたまるか!と思った。今、こうして無事でいられる以上は、やりたいことをやるしかない、そう思えた。乗り越えるべき問題も、生きている以上は乗り越えられる日が来るはずだ。

B.A.S.S.の顔。フィッシュ・フィッシュバーン。最終日のウエイインの後、撮ってもらった。とても、面白くて明るくて、アングラーみんなに好かれていることが、彼の魅力を象徴している。プロ時代は、チーム・グランドマムとして、スポンサーを一切付けなかったことも有名